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木造校舎の思い出 [小学時代]

小学校は、オンボロ校舎だった。
なんせ、大正時代に祖母が通った木造校舎のまんまだったのだ。
体育館は無く「講堂」だったし、トイレは男女一緒の「ぼっとん」だったし、
窓は「サッシじゃない」し、「雨漏り」はするし、まず、屋根が「瓦」であった。


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☆ジャイアンの思い出

ジャイアンにそっくりなM君というやつがいた。
姿かたち・言動・スネ夫みたいな取り巻きのいるところまで、
ホントにそっくり。
なのでここでは 「ジャイアン」 と呼ぶことにする。

それは梅雨のある日。

もう長いこと外で遊んでいないジャイアンは、
ストレスでパンパン状態だった。
校舎内をドタドタ走りたいくらいなのだが、出来ない。
別に先生に叱られるのはコワくない。
雨漏りで至るところ滑るので、自重するしかないのだ。

のび太みたいなのを いじめるのも飽きたしナー。
イライラしながら教室中を見回すジャイアン。
女子はみんな集まってコソコソなんかやっている。
いま流行っているのはリリアン編みなのである。けっ、くだらねー。
あっそうだ。

何かをひらめいたらしいジャイアンは、
まっすぐにロッカーに向かうと、ヒモを出してきた。
そしてそのヒモで、縄跳びを始めたのだ。

当時、その学年の児童数は60人前後。
2組に分けていたので、1クラス30人程度である。
教室の中ほどまでしか机はなく、後ろは大きく空いていたのだ。

どしん どしん どしん どしん

ジャイアンの大きな体の重みで、教室が振動する。
「ちょっと! やめなさいよー!」
「先生に言いつけるからね!」
女子の声にはかまわず縄跳びを続けるジャイアン。
どしん どしん ・・・
「M君!」
「うるせぇーーー!!」

その瞬間。

バキイイィィィッッ!!!!!

と大きな音がして、ジャイアンが急に小っちゃくなった。

しーーーーーん

固まってしまった女子。

ジャイアンは、黙って穴から這い出すと、そのままランドセルを背負い、
出て行ってしまった。
あの・・・まだ昼休みなんだけど。。。

後日。

授業中に、突然、背後から トンテンカン、トンテンカン と音がする。
一斉に振り向くと、茶色いジャージを来た校長先生が、しゃがんでいる。
「見るな。前、向いてろ」
校長先生は、犬を追っ払うように我々をあしらうと、
ジャイアンの開けた大きな穴に板を打ち付けていた。

当時、用務員はおばちゃんだったので、
校長先生自ら大工仕事を引き受けたのだろう。

後で聞いたのだが、ジャイアンは、糖尿病だった。
日常生活に制約がどうしても多くなる。
そんな毎日が彼を暴れん坊にさせていたのかもしれない。



☆総理大臣の思い出

私が初めて認識した総理大臣それは、
大平正芳である。

私が4年生のとき、急死した。
葬儀の日は、雨が降っていた。

4時間目の授業は体育なのに、外に出られない。
講堂を使えたら、マット運動ということになった。
(講堂は、音楽の授業でオルガンを使うときに音楽室としても使用していたので、
事前の確認が必要だったのだ)

先約が無かったので、我々は、マット運動の授業をすることができた。
マットを出してきて敷く作業に手間取り、運動を初めて間もなく
校内放送があり、授業は中断した。

12時ちょうどに 「黙祷」 の号令がかかった。
静寂の中に響く、ずおおおぉぉぉという激しい雨の音が、
まだ耳の奥に残っている。



☆男らしい先生の思い出

ベランダも屋上も無い、2階建て木造校舎である。
で、縁の下があった。

3年生の時。
クラスのアホアホ男子2人が、朝、登校後に、縁の下に入って行ってしまい、
朝の会にも戻ってこなかったことがある。

「○○君、休み? ・・・◇◇君は?」
我々は一斉に顔を見合す。
「居場所 知ってんでしょ。怒んないから、言ってみ♪」
ニッコリ笑う先生の顔が怖かった。。。

この先生は新卒なのだが、性格がサバサバして男っぽく、
妙に腹が据わっていたので、我々は信頼し、大好きであった。
そんな先生に秘密を持ちたくないと、誰もが思った。

「・・・ふーん。あっそぉ」
学級委員長からの報告を聞きながら、指で教壇をトントンと叩く先生。
いきなり、ツカツカツカ・・・と教室の後方に行き、ガバッと身を伏せた。
何をするのかと我々が固唾を呑んで見守っていると、突然、

「うおおおぉぉぉぉーーーーい! 生きてるかあぁぁぁぁーーー?!?」

と、床の節穴に向かって叫んだのである。我々が唖然とするなか、
今度は節穴に耳をピッタリ貼り付けてニッコリし、
「よしよし」と つぶやきながら教壇に戻ってきた。
そして、何事も無かったかのように授業を始めたのである。

先生は、授業の間の休み時間に、節穴を通してコンタクトし、
節穴にヤカンの口を入れて水分を補給してやったり、
前日まで出張していた先のお土産のまんじゅうを小さくちぎって
節穴から差し入れてやったりと、甲斐甲斐しく(?)世話をしていたのだが・・・。

昼を過ぎて、
「あいつら腹減ってんだろーなー、冒険もほどほどにしないとねー」などと
先生が心配を始めた頃、問題が発覚した。
「実は、先生、出たくないんじゃなくて、出られないんだよ~!」
とアホアホ男子が泣き出したのである。

縁の下は真っ暗で、ずっと出られそうなところを探していたのだが
見つからないというのだ。
「見つからないって? あんたら どっから入ったのよ!」
先生は焦って叫ぶが、9歳男子はほとんどパニック状態になっていて
埒があかない。

先生は職員室へ慌てて報告と相談に行き、大騒ぎになった。
男の先生方が総力を挙げてレスキューに廻ったため、
全校生徒は即刻下校させられた。

後で聞いたところによると、結局
助け出すのに午後7時頃までかかったらしい。
男らしいのはいいけど、ちょっと先生、泰然としすぎ。

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このオンボロ校舎に4年生までイヤイヤ通ったが、
5年生からは新しい鉄筋校舎に移った。
新しい校舎は何もかも新品で、室内は明るく、トイレは清潔で、
ものすごく満足した。先生たちの顔までが明るく見えた。

でも、珍しかったのは最初の3ヶ月くらいで、
だんだん何となく、のっぺりした鉄筋校舎がつまらなくなった。

小学校を卒業して、もう20年以上経つが、
よく思い出すのは、4年生まで通った木造校舎の頃のことばかりである。
それは、思春期に入る前の、純粋に無邪気な「子ども」の時代だったから
ともいえるが、必ずしもそればかりではないと思う。

いま、新築校舎の木造化が増えてきているという。
私が親なら、子どもに木造校舎で学ばせたいと思うし、
同じように考える大人が増えてきている証拠なのだろう。
なんか、いいよね、木造。


【オマケ~】

木造校舎の思い出―芦沢明子写真集 関東編

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木造校舎の思い出 近畿・中国編―芦沢明子写真集

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コメント 21

hil

いちばんですぜ、おやびん。
歯が痛くて、引きこもっていたのですけど。
しかしまあ、midoriさんは良く覚えていますね、子供の頃のこと。
そういえば僕も小学2年生くらいの頃、木造の校舎とお別れしました。なんか床が油っぽくててらてらしていたことを思い出します。校舎が取り壊されたとき、女の子が泣いていたりしましたけど、僕はあんまり感傷的にはなりませんでした。新校舎がもう建っていましたし、早くそこに入りたくてたまらなかったなあ。
木造は確かに良いんですが、「古い木造」に住むと大変ですよ。僕、住んでいたことありますけど、虫とか、虫とか、虫とか!
by hil (2006-05-20 21:15) 

みっちょん

ジャイアン若いのに糖尿病って大変やねぇ~
そりゃ~暴れたくなるわ!!
ケガしてたのかなぁ~??
木造校舎っておもしろそぉ~♪
うちの近くの小学校もあえて昔っぽく木造風に新しく作ってたよ。。。
外からしか見てないけど・・・
なぁ~んかイイ感じだった♪
by みっちょん (2006-05-20 22:13) 

縁の下から出れないことを先生に泣くまで言えなかった気持ち分かります!
木造校舎も登場人物する人達もあったかくて良いですね。
by (2006-05-20 22:45) 

GO

GOは幼稚園から鉄筋コンクリートでした・・・・
ポットン便所を見たことがないです。
大平総理死んだ時、黙祷したんですか?もしや地元ですか?
曽祖父がなくなった時、葬儀にきていただいたのが
我が家、唯一の自慢話・・・・
by GO (2006-05-21 10:20) 

goinkyonosora

木造校舎で育っていないので、実感としてはありませんが、
幼い頃の家(新築する前)が、なぜか今も夢に出てきます。
縁側から庭を見ている自分を。。。
味のある器の中が、居心地がいいのかな^^
by goinkyonosora (2006-05-21 10:40) 

Sho

midoriさん 恥ずかしながら戻ってきました。もう少し、やってみることにしました。よかったら、後で遊びにいらしてください。

さて― 今回も、笑わせられ、又ほのぼのさせられる記事を、ありがとうございます。
私も小学校の4年までが木造校舎、5年からコンクリートの新築校舎で思い出を重ね合わせつつ読ませていただきました。
「木造校舎」って何だか思い出が残りやすいような気がしますね。
by Sho (2006-05-21 13:53) 

midori

おっ ご苦労!(ウソです、すんません)hil 様 nice!ありがとうございます。
歯痛ですか? うー可哀相。お大事にどうぞ。
私の頭の中身を成分分析すると、99%が思い出で出来ています。
なので、キャパが1%しかなく、そこは日常覚えとかなきゃいけないことで
ひしめきあっています。暗記? まったくダメです。ペケ。白旗。敗訴。
木造の家は憧れてるんですが、そーねー。虫と共存になりますね。

みっちょん様 nice!ありがとうございます。
あぁ書いてはいますが、ジャイアン本当に怖くて、近づけなかったっス。
かなりイライラしてたんでしょーねー今考えると。かわいそうに。
校舎は「やっぱ木造っしょ(byキムタク)」の風潮はあるですね。
どんどん増えるといーなー。

mochi 様 nice!ありがとうございます。
アホアホ男子、やらかしてくれました。
そうですねー。みんな牧歌的でしたよ、あの頃って。
(その子の親も「ウチのバカ息子がご迷惑を・・・」って感じでしたもん。
今なら消防とか警察呼んで大騒ぎでしょう。
先生も管理責任を問われていたでしょうね)

GO様 nice!ありがとうございます。
ひえ。実家はまだまだボットンですよ!
ひえ。すげ。大平総理、来たんですか? ひいじいちゃん、何者?
地元ではないですけど、ウチの方は昔から「国旗掲揚、国歌斉唱」
に疑問をはさまない土地柄なので、それなりの人が亡くなったら
黙祷普通でしたよ。ひえ。まじ。普通、普通ぢゃないの?

おぺ様 nice!ありがとうございます。
根拠のほどはわかりませんが、木は呼吸するんでしょ?
それって何らかの影響が無いとは言えない気がしたり、なんかして。

Sho様 nice!ありがとうございます。
お帰りなさい。うんうん。プログなんて誰のためでもないんだから、
ぼちぼち行きましょーや。
あらま。校舎の移行期が一緒なんだ。
そうですね。よく憶えているのは木造時代です。
鉄やコンクリートの社会が我々から奪ったものって、
けっこう大きいんじゃないでしょうか。
(話も大きくなっちゃったな 笑)
by midori (2006-05-21 17:33) 

はい~木造でしたよ~。最後の木造^^途中で鉄筋立てになっちゃいました。ほぼ同じ仕様でしたね~校舎。机はウラっかえすと粘土板になりやつでした。ジャイアン的なやつもいましたよ~。「リタイサル」はやらなかったですけど^^
大掃除での腰板拭きとか懐かしいですね~。でも今思えば贅沢な校舎でした。腰板と言えばあれが割れたところの壁内部に、牛乳かくしてヨーグルトを作成したヤツまでいました。。。
by (2006-05-21 20:28) 

GO

黙祷といえばよく考えたら学校でしたことないですね。
ひいおじいちゃんと大平さんは同郷だったらしくきてくれたらしいです。
by GO (2006-05-21 21:04) 

ルビィ

ルビィの通ってた小学校も木造校舎で、100周年か何かの式典が
あったような記憶があります。
が、midoriさんとこと同じく途中で鉄筋校舎に建て替えられてしまい
卒業する時には木造校舎は無くなっていました。
ジャイアンは鉄筋より木造が似合いますね。(^^;)
by ルビィ (2006-05-21 23:17) 

midori

MINIPOLO様 nice!ありがとうございます。
なつかしいですね~。
木造校舎って、2階の教室でバケツの水ひっくり返すと、すぐさま
真下の教室に雨が降るんですよね(笑)。

GO様 おいでやす。
へええ。ないんだー。まぁ学校によって「お決まり」って違いますからね。
総理は、「同郷」というだけでは来ないでしょう。
ひいおじいちゃまはかなりの人物だったか、
生前に大平さんを応援していたんでしょうね。

ルビィ様 nice!ありがとうございます。
木造の小学校に通った人、結構多いんですね。
そうそう。壊されるとき、寂しかったです。
今はジャイアンみたいな小学生、いないのかなー。
by midori (2006-05-22 13:05) 

素人写真

私にとって木造校舎の想い出は,天井からの「水漏れ」と「給食室のいいにおい」です。
http://blog.so-net.ne.jp/hikoki_gumo/2006-01-25
by 素人写真 (2006-05-23 07:15) 

midori

飛行機雲 様 nice!ありがとうございます。
そうなんです! ダイレクトに降ってきますからね、水。
それも、子どもだから、よくバケツ蹴っ飛ばすんですわ。
給食室も校舎内にありましたね。
さじが足りないとかで、遅い時間に給食室へ行くと、
調理室の隣の小部屋のコタツで、オバちゃんたちが給食を食べてる姿が
見えました。みかんとかおせんべいなんか持ってきちゃって、
なんだかしらないけど「あはは、おほほ」って笑っていて、楽しそうでした。
そちらの記事にうかがいまーす。
by midori (2006-05-23 23:14) 

清水 順子

midoriさん、こんばんは。
先日はありがとうございました。

やっと時間が取れたので、今日、midoriさんのblogの記事をじっくり拝読させて頂きました。
小学校時代のこと、細かい部分までよく覚えてらっしゃいますね。
わたしはmidoriさんと違って記憶力の欠片もない人間なので(笑)、中学時代のことですらほとんど忘れてしまいました。

でも、midoriさんがこれだけ沢山当時のことを記憶してらっしゃるのは、その日々がmidoriさんにとって、とても楽しいものだったからなんでしょうね。

また時間を見つけて遊びに来ます。(^-^)♪ 本当にありがとうございました。

 j ( http://tokyo24.blogtribe.org/ )
by 清水 順子 (2006-05-25 18:47) 

midori

清水順子 様 こんばんわ。いらっしゃいませ。
私の場合、思い出ばかりが頭につまっていて、新しいことは入らない
体質なんです(なんやそれ)。
で、どうもヘンなエピソードが人より多いらしいので、それを披露する
ためにブログなんぞに手を出してみました。
気分転換にでもいらしてください。
そちらへもちょくちょくうかがわせていただきます。
by midori (2006-05-26 19:13) 

midori

RON様 nice!ありがとうございます。

はづき様 nice!ありがとうございます。
by midori (2006-05-28 00:47) 

ドッペルゲンガー

オイラの通っていた小学校も木造で、しかも雪国だったもんだから、冬場の朝うっすらと机に雪が積もっておりました。その雪をかき集めて卓上雪だるまを作ったものです。ああ懐かしい。
by ドッペルゲンガー (2006-05-29 10:03) 

midori

ドッペルゲンガー様 nice!ありがとうございます。
くわあ・・・雪ですか。そうか、サッシじゃないから。すきまから。
おそらく、クラス全員、しもやけ・あかぎれ だったんでしょうねぇ。。。
by midori (2006-05-30 14:47) 

あきら

とってもなつかしく読ませていただきました。
私の通っていた中学校は首都圏にあったのにもかかわらず瓦屋根の木造二階建てで、今でも台風の強風で校舎がゆれたのを覚えています。
そういえば、掃除の時間に2階から1階が見えるような大きな隙間があって、真下に同級生がいるときにほこりをおとしたりしている同級生がいたなあ。
階段の手すりはみんなが長年使ったおかげであめ色に光っていて、取り壊しになるときにその手すりだけでもほしかったなあ。。。
そういえばトイレもぼっちゃんトイレで・・・。
いろいろなこと思い出すようなお話どうもありがとうございました。
by あきら (2006-06-10 02:12) 

midori

あきら様 nice!ありがとうございます。
学校のような大きな建物が、みんな鉄筋コンクリートになってしまうのは
残念ですよねー。
そう、学校中、子どもが触るところは どこもテカテカしてました。
掃除も、心を込めてキレイにしてたような気がします。
by midori (2006-06-10 15:37) 

midori

小坊主つばめ様 nice!ありがとうございます。
by midori (2006-06-28 17:05) 

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