あの日にかえりたい [幼児期]
荒井由実の通算6枚目のシングル「あの日にかえりたい」1975年10月5日発売.
1975年末,シングルレコードのオリコンチャートで1位を獲得.
収録アルバム「YUMING BRAND」1976年6月20日発売.
そして彼女は,松任谷由実になる.
ダメオヤジの真実 [幼児期]
幼児期、私は家の事情で里子に出されていた。
そこは父の姉、私には伯母にあたる人の家だった。
おじさんと、おばさんと、女子高生の いとこ・・・の3人家族。
とはいっても、おじさんが帰ってくるのは週末だけで、
実質母子二人暮らしの家だった。
そこへ年端も行かない私が転がり込んだのだ。
普段は、女だけの3人暮らしで、のんきなものであったが、
土曜日の昼頃に、おじさんから「今から帰るよ」と電話があると、
だって わかんないんだもん! [幼児期]
幼稚園には、送迎バスで通っていた。
地区ごとに4つのグループに分かれ、私は第1グループだった。
朝は一番早く幼稚園に着き、午後は真っ先にお家へ帰るグループである。
運転手は、園長先生の息子さんがやっていた。
幼稚園に入る前から、ひらがなカタカナ、簡単な漢字はおろか、
九九までも諳んじていた私だったが、時計は読めなかった。
「第1グループのおともだちは、○時出発ですよ~」
と先生が叫ぶのだが、なんのことやら、というのが正直なところ。
もちろん「わかんない」という顔はせず、ツンとすましていたのだが。
*今では わりと好き♪ [幼児期]
祖母が倒れて、母は赤ん坊の妹を連れて病院に付き添い、父は会社・・・
ということで、4歳になる前から親戚へ里子に出されていた私。
家から60kmくらい離れた場所なのでちょくちょくは帰れず、
近所には子どももおらず独り遊びをするしかなくて、
寂しさを感じなかったといえば嘘になるが、それなりに満喫し、
その家では大事にされて、楽しく過ごした日々。
でも、子ども心にも「居候」という身分はわきまえていたつもりである。
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ある日、おばさんが力なく言う。
「midori ・・・どうしよう」
*腕時計って、あなたにとって何ですか? [幼児期]
さぁ、あんまり考えないでお答えください、
あなたにとって、腕時計は何ですか? ほらすぐに答えんかー、ばかものー
・・・ふぅん。なるほどねぇ。ほーそうきたか。
ちなみに、midori がその質問をされたときは、
「暦」(こよみ)
と答えて不思議な顔をされました。
だって、誰がなんと言おうと「暦」なんだものー。
話はウン十年まえに遡ります・・・
*子供のとき、どんなんでした? [幼児期]
さて、ごはん食べたの覚えていますか? midori です。
midori は最近、かなり物忘れが激しくなっています。
ハリウッド俳優の名前なんか出てくるどころか(ハリソン・フォードの名を出すのに4日かかった。
出る直前に頭に浮かんだのは、なぜか都はるみ)、今朝食べたものも覚えてないし、
それより何より、
何かやろうと思って立ち上がり、「・・・あれ、自分は何をしようと・・・?」と固まること多数。
ヤバイですか?
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普通、最初の記憶はどのあたりからだろうか。
三島由紀夫なんかは、生まれて産湯に浸けられたところから覚えているのだろうが、
周囲に聞いてみると、だいたい2~3歳くらいからのよう。
midori には、比較的小さい頃からの記憶が存在する。
最古は、おそらく生後8ヶ月くらい。