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もうイヤっこんな生活 じゃあどんな生活がいいの?・・・入院生活(んなこたぁない byタモリ) [幼児期]

仕事の関係で,病児の看護の本を読んでいたら
ありありと昔の光景が蘇ってきました.
少し長くて重いですが,よろしかったら お付き合い下さいまし.


私は,3歳くらいから6歳になる手前まで,
実家からは60kmくらい離れた親類の家に,里子に出されていた.
家の諸々の事情のためであったが,何年か経ち私も馴染んで,もうこのままでもいいかも
という考えが頭をよぎる頃,いろんな事情が少し落ち着き私も幼稚園に通う年頃になったので,
ここが潮時,と連れ戻されてしまった.

里子に出されていた先は,専業主婦のおばさんと高校生の娘の二人暮らしで
気楽な核家族であり,地方都市で文化度も田舎よりは高かった.
近所に子どもがいなかったので,本や人形で一人遊びばかりしていた私は,
私を不憫に思う周囲の大人に甘やかされて ぬくぬくと育っていた.

戻ってきた実家は,非常に居心地の悪い家だった.
田舎の因習的な家柄で,嫁姑や近所の小姑との諍いが絶えず,
私は ほとんど話もしたことのない妹弟に冷たい目を向けられ,
本など1冊もない家で,いつもいつも機嫌の悪い母に怒鳴られていた.

その家を離れられる唯一の場所である「幼稚園」というのも,
私には苦痛なところでしかなかった.
団体生活は経験がないし,まず子どもが嫌いだった.
気まぐれで我がままで下の管理もできない,10分も落ち着いて座っていられない,
そんなサルのような子どもたちと一緒に扱われることがイヤでたまらなかった.
教室なんて行かないで,職員室で先生と話していたかった.
おゆうぎなんて,手ヒラヒラさせて,赤んぼのやることじゃん,バッカみたい,
と6歳の私は嘆いていた.
(今は,なんなら一日中ヒラヒラ踊っていたいものだが 笑)

1ヶ月ほど経った頃,体に異変が起こり始めた.
なんだか体の調子が悪く,食べられない.みるみる痩せてくる.
少し休んでいたが一向に良くなる気配がなく,
医者に行くものの原因がわからない.
医院・病院を転々とし,点滴を打たれる日々が2ヶ月を越える頃,
腎臓が悪いことが やっと判明し,紹介状を書いてもらい,入院した.
すでに幼稚園は夏休みであった.

入院した日のことは忘れられない.
真夏の明るい日差しの降り注ぐ日だったが,私は寒さにガタガタ震えていた.
ラクダ色の毛布にくるまれて,私は父の運転する紺色のトヨタ・カリーナの後部座席に横たわり,
新聞紙の入った洗面器を持たされて,「気持ち悪い~気持ち悪い~」とうわごとのように
つぶやいていたが,もちろん出るものなど ないのである.病院まで道のりが,異様に長く感じた.
実家から車で40分ほど離れた総合病院の駐車場に着くと,父はドアを開けて私を抱き上げた.
これには参った.
父は私を横抱きにして,入院患者用のドアに向かって走っていく.
私は父の前後に動く顎を見上げながら「お父さん,重いよね? 大丈夫?」と何度も思っていた.
(夜,テレビを観ながらコタツで寝てしまう妹弟は,父や母に抱き上げられて寝室へ運ばれていく.しかし私にはそれは許されず,いつも叩き起こされていた.
私がもう大きくて重いから運べないのだと思っていたのだ.だから,父は重いに違いないと.
後で聞いたら,「紙みたいに軽かった」と言っていた)
処置室に寝かされると,たくさんの大人たちの顔が私を取り囲んだ.気が遠くなった.

病室は二人部屋だったが,もう一つは空いていた.
私は依然食べられず,点滴を毎日5本も取り替えるほどだった.
当時は三方活栓もなかったから(たぶん),その都度 針を抜き刺ししていたと思うが,
常にうつらうつら眠っている状態だったので,痛みなどの記憶は無い.
当時は完全看護というシステムもなく,付き添いが必要だったはずだが,母はついてくれなかった.
私は入院したとき,原病だけでなく「はしか」と「おたふくかぜ」も併発しており,
それが妹弟に感染し,母は家を空けられなくなったのだ.

代わりに,里親が再登場した.
高校3年生で大学受験を控えている娘を家に置いて,来てくれた.
入院治療が功を奏し,私は薄紙をはがすように良くなっていった.
少しずつ食べられるようになり,起き上がれるようになり,
ベッドの上に座って少し遊ぶことも出来るようになっていった.
しかし逆に,今度は里親の体の調子が悪くなり始めた.
射的ゲームと称して,私が輪ゴムを指に引っ掛け飛ばす,
ゴムが当たって倒れたベッド上のその小さな的を起こすことも大儀になってきた里親は,
意を決して医者にかかった.
診断は「結核」であった.
サナトリウムに行くために一度家に戻った里親は,
そこで娘がすでに伝染っていることを知る.
二人は2年ほどの入院を余儀なくされた.娘は大学受験を断念した.

里親の後釜は,病院の近所の団地に暮らす,母の姉であった.
盆正月にチラッと会うくらいしか面識がなく,お互いにぎこちない.
私より少し大きい娘が二人いて,共働きをしていたので,
朝と夕方に様子を見に来てくれるだけだったが,
私は元気になりつつあったので,あまり問題はなかった.
一人で過ごすことには慣れていたし,里親が置いていってくれた本もあるし,
隣の空きベッドには おばあちゃんも入ったし.
(おばあちゃんは寝たきりだったので別段コミュニケーションもなかったのだが)

この頃,幼稚園の担任のN先生がお見舞いに来てくれて,絵本を2冊いただいた.
そのうちの1冊が『ももいろのきりん』という本で,今も憶えている.
主人公のキリコは親から大きな画用紙をもらい,そこに桃色のクレヨンでキリンを描いたら
それが立ち上がってキリコのペットになる.キリコは一人っ子のわがまま娘で,
きりんの世話も独りよがり.キリコの無配慮から,ある日きりんが雨に打たれて倒れてしまい,
キリコは今までの自分を反省し きりんのため奔走する.きりんは元気になり めでたしめでたし.
というストーリー.
意識はしていなかったが今思うと,その頃の自分と きりんが重なって見えたのだろう.

翌週に退院を控えた土曜日の夜.
いつものとおり おばさん(母の姉)が来たと思ったら,その旦那さんであるおじさんも来た.
「midori ちゃん,おじさんの家に泊まりに来ない?」と訊く.
えっいいのかなぁ・・・考える間もなく,ひょいと おんぶされて三人は病院を出た.
初めて見る団地の部屋に私は興奮した.こんなに狭いのに,何でも付いてる!
しかも何もかも小さくて,ままごとみたい!
[関係各位には,大変失礼なことを申し上げておりまする.面目ない.でもねー,
普通の一戸建て(しかも田舎の農家とか)しか知らない子どもには新鮮なんですよー]
ちっちゃい庭で興じる花火と,翌朝の朝食のコーンフレークには もーびっくり!!
しかし,この話には大変な後日談が・・・.
この おじ・おば.勝手に私を病院から連れ出したらしく,大騒ぎになったらしい.
しかも,私はまだ外泊なんかできるような状態ではなかったらしいし...

この入院期間,約1ヶ月.
その間,私がわがままを言ったのは2件だけ.
この頃は,まぁ,我ながら「オトナ」だったと思います.
いろんなことを諦めてる子どもでしたね,今考えると.
精神年齢は どう考えても この頃がピーク.今はだいぶ落ち込んで,文句ばーっかり言うてますわ.

【わがまま その1】 『アイスが食べたい』
腎臓悪くすると,食生活の制約がメチャクチャ厳しいんです.
病院食は,それはそれはヒドイ飯.
ごはん.うっすーい ほとんど塩気の無い味噌汁.味の無いおかず.以上.
仕方ないので,ごはんに味噌汁かけて啜ってました.(おかずはどうしても飲み込めませんでした)
で.特筆なのは食後のクスリ.粉末.しかも超ニガ.
子どもなので,粉薬はうまく飲めない.どうするか.
コップに水で溶かして飲むんですが,それがものすごい悪臭.
しゃーないから,ストローで,しかも鼻つまんで,一気にズズイーッと.
よく飲んだなぁ6歳で,あんなもん毎食後.えらい,えらい.
そんなもんで,夏だから暑いし,子どもだから食べたいんですよ,アイスが.
ずっと許可が下りなくて,やっと食べられたのは退院の2日前.
当時50円のラクトアイスで,今も憶えてますよ,たしか「なんとかエイト」とかいうの.
白を基調にして赤と紺のデザイン.子どもの顔(正ちゃんみたいな)が描いてあったような.
それもね,半分しか食べさせてもらえなかった.
でも満足でした.・・・オトナやのう.

【わがまま その2】 『ナースコール』
ナースコールは子どもが押すものではないと思っていて,
ずーーーーーーーーっとガマンしていました.
でも一人だったし とうとうガマンできずに押しちゃいました.だって・・・
蚊に刺されて痒いんだもん.死ぬほど痒いんだもん.
おそらく1ヶ所ではない.掻くと,腕全体が猛烈に痒くなった.
うがー
掻けば掻くほど痒くなる.両腕とも痒くなってきた.6歳女子,パニック状態.
もう半ベソ状態である.カーッとなり,つい押してしまったナースコール.
『どうしましたー?』 看護婦さんの声.声の出ない私.
『・・・どうかしましたか? もしもーし』 う・・・やっぱり出ない.
『・・・midori ちゃんかな?』
「・・・あい・・・」 あ,ちょっと声出た.
『どうしたの?』
「・・・蚊に・・・蚊に・・・」 言葉が続かない.
『お部屋行こうかー?』 
「・・・・・・」 だって,蚊に刺されたくらいじゃ来てくれないよね...
『midori ちゃーん?』
「蚊に・・・」 なんだか唇がとんがってきた. 
『なんてー?』
「蚊に刺されちゃったようお~うえ~ん」
ダム決壊.
『アハハハハハハハハハハ』 思わず看護婦さんの高らかな笑い声.
「うわ~ん!!」 あーやっぱり来てくれないんだーもうナミダが止まらないよー.
『すぐ行くから待っててねー!』 ガチャッ
ほどなく現れた看護婦さん.
涙を拭いてくれて,薬を塗ってくれて,眠るまで一緒にいてくれた看護婦さん.
これよ,これ.こーゆーのが欲しかったのよねー・・・やっぱし子どもだなぁ.
 
というわけで,退院と相成りました.
父と母が迎えに来て,薄い水色のサラサラした生地の花柄のワンピースを
買ってきてくれた.病み上がりで痩せたままだから,まーこれがまたブカブカで似合わないこと.
ベッドの上でパジャマから着替えたのだけれど,一応子どもらしさ演出ってことで
2回ほどベッドの上でジャンプして元気さをアピール.
「ほらぁ,midori やめなさい」
って言う母の顔.全然怒ってないの.病気治って良かったなぁって本当に思った.
降りようとしたら,隣のベッドから声がかかった.
「いいベベ着ていいねぇ」
おばあちゃん,何言ってんのか全然わかんないよ.(子どもに「べべ」はわからん)
私は曖昧な笑みを浮かべてベッドから降りた.


あれからウン十年.
今はこんなに元気に頑丈(?)になってしまって
入院なんかしたことありません.
(里親には,今でも「midori はちゃんと大人になれるのか心配だったよー,
こんなに元気になるとは思わなかったよー」と言われる)
忙しい日々が続くと,いっそ入院でもして休みたい・心配されたいなどと
不埒な考えをもってしまう.あぁこのバチ当たりめが.







 
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Sho

>忙しい日々が続くと,いっそ入院でもして休みたい・心配されたいなどと
私はいつも、「midoriさん、どうしてるかなあ・・・」と思ってますよ。
こんな私でよかったら(笑)

齢六歳にして、様々に他者に気を遣う様子が賢く楽しくも、ほんのりと切ないです。
お父さんに抱っこの話、いい話ですね。
おばあちゃんの「べべ」も。
そうそう、ナースコールも。
何はともあれ、病気が治って何よりです。
midoriさん、ものすごく忙しそうですものね。GWももしかしてお仕事ですか?体大事にしてくださいね。
by Sho (2007-04-30 03:30) 

ウチータ

ごぶさたnice!です。
midoriさんの記憶力にはいつも感心することしきりなのですが、三つ子の魂百まで・・・を実感することも多いです。
ちなみに、「midoriのつぶやき」は、笑っちゃいますね。応募者上位のややこしい時代はまだ続くのであろうか(笑)。
by ウチータ (2007-04-30 07:08) 

素人写真

私の入院は楽しい想い出。
何しろ,小学2年生の時に,猩紅熱で,同じクラスの友達3人と入院したのですから。
退院の日,とても熱いお風呂に入れられたのを覚えています。
しかも,当時のことですか,男女関係なく3人一緒に浴室に入れられました。
当然,水遊びですよ。

退院後,私たち3人は担任の先生に毎日残されて,入院していた間に授業でやったことを,すべて教わりました。
by 素人写真 (2007-04-30 08:22) 

noel

いつもながら、詳細な記憶に驚いています。
そしてなんとけなげなお子さんだったのでしょう。

いろんな人達が支えてくださっていたのですね。
by noel (2007-04-30 10:00) 

a-k-i

。゚(゚´Д`゚)゚。 波乱万丈すぎますよぅ~
なるほど・・ どんな困難でも乗り越えられるわけだぁ
爪の垢を送ってください。 煎じて飲みます(笑)
by a-k-i (2007-04-30 10:04) 

凄いな~、よく覚えているよね!
私も幼稚園のとき入院したけど、記憶がない( iдi )
今は、本人の意志に関係なく入院させられたりしてますが・・・

うちの実家も広いうちだったので、団地が新鮮にうつりました。
なつかし~~い!
by (2007-04-30 10:16) 

midori

みなさま,nice!&コメントありがとうございます.
連休で留守にしており,返事が遅れて失礼しました.

Sho様
きやあ~,もっと心配して!(コラ)
黄金週間はですね,半遊・半働でした.大掃除も出来ました.
でもでも現実は半分も働けなかったようで,今やってます(泣).
ナント2009年の9月にも黄金週間があるんですよ,知ってました?

ウチータ様
お元気ですかぁ~?
うーん,採用は結構厳しいものがありますねー,
ご自分のご都合ばっかり押し付けておられるっつー傾向がありんす.はぁ.

飛行機雲 様
・・・いいなぁ.当然,枕投げですよね.
その先生はエライ! 子供心には「はひー」ってな感じでしょうけど,
大人になると,それがいかに大事かわかります.
私は割りと学校を休みがちだったので,
抜け落ちてる知識とか一般常識が結構あるんですよ.
(休んだせいばかりじゃないって? ー''ー;)

noel 様
けなげ! もっと言ってくださいっ!(笑)
そうですねー,私はいつも人様にご厄介になって大きくなりました.
小学校に上がってからも,あらゆる親戚の家に一人で積極的に泊まりに行ってましたし,高校卒業時は翌日にもう家を出てしまったので,トータルすると,実家で過ごした時間は かなり短いほうでしょう.

a-k-i 様
波乱万丈・・・うーむ そうだったのか.
困難? 乗り越えてなんかいませんよ,迂回してるだけです.
で,迂回すると道間違うんですよねー(汗).

おぺ様
くれぐれも ご自愛なすって下さいませ.
そう! 興奮しますよねー団地.
玄関開けたらイキナリ食事風景 丸見えなのとか,
左右に窓がないのとか,家の中少し走ったら すぐ庭に突き抜けちゃう
とか,ビックリしました.
もしかして,可哀相な家? とか思っちゃいました.
(うわぁ~関係者の方すみませんっ 今は私もアパート暮らしですから許して)

私は生まれたときから 「大人の事情」 に振り回され,
いろいろ諦めながら大きくなりました.
なので,早く大人になりたいと思いました.
かつて私を振り回した大人たちが,口を挟む余地も無いほどの
立派に独立した大人になってやろうと思ったのです.
大人になったら,「大人の事情」 を振り回してワガママを言い,
好きなように生きていけると思いました.
・・・ところがところが,です.みなさんもご存じのとおり,
大人は一つも「好きなように」「ワガママに」なんて生きられない.
どうにかこうにか工面して,なんとか形整えたように子どもらに見せながら
大人の顔して前を向くのが精一杯なんですよね.
親のその綻びが見えたとき,かつての私は糾弾しました.
今は,人どころではない,自分の綻びのあまりのひどさに うろたえる毎日です.
「大人の事情」 で片付けたくなかったのは親のほうだったんだと,
今さらながら思います.遅いですが.
by midori (2007-05-06 10:45) 

Sho

ソネブロに、2個目のnice!をつける機能が無いのが悔しい。
nice!です、midoriさん! nice!です!!

>「大人の事情」 で片付けたくなかったのは親のほうだったんだと,
今さらながら思います.遅いですが.

全然遅くないと思います。
ご両親は、midoriさんがそう思っていることを、ちゃんと感じ取っておられると思います。(勝手にごめんなさい)
by Sho (2007-05-06 11:22) 

midori

Sho様 ありがとうございます.ナイスなお気持ちだけ戴きます.
うーん,そうですね,確かに,子ども3人の中では一番信用されているような気もしないでもないです(離れているから,イザって時に頼りにはならんですが ^^;).
by midori (2007-05-06 16:01) 

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