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あの日にかえりたい [幼児期]

荒井由実の通算6枚目のシングル「あの日にかえりたい」1975年10月5日発売.
1975年末,シングルレコードのオリコンチャートで1位を獲得.
収録アルバム「YUMING BRAND」1976年6月20日発売.
そして彼女は,松任谷由実になる.

YUMING BRAND

YUMING BRAND

  • アーティスト: 荒井由実
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2000/04/26
  • メディア: CD





この曲が巷を騒がせていた昭和50年,私は5歳の冬を迎えていた.

来春から幼稚園に通うため,
住み慣れた里親の家から実家へ本格的に戻ってきていた.

一族の本家である我が家では,
師走の慌しさをなんとか乗り越えると,
年末から大勢の親類縁者を迎える.

昭和の年末年始は,
家族や親戚が集まり みんな揃って
年越し蕎麦に舌鼓を打ち,レコード大賞や紅白歌合戦を観,
新年を祝って杯を交わすものだった.
友人同士だけで夜の街へ繰り出して帰ってこないなど,
思いもかけない時代であったのだ.

年末から十数人の人間が何日も泊まっていく,
そういう我が家でも,
1月2日には我々は母の実家に泊まりに行った.
姑や小姑に台所を任せて,母は年に1泊だけ,里帰りを許されるのだ.
この時ばかりは,父と母と我々きょうだいだけの核家族になる.
母のいつも強張っている顔が柔和になる.

母は,7人兄妹の末っ子である.
長兄とは20歳以上の歳の開きがある.
もう時代が違うから,と戦後生まれの母だけ高校を出してもらった.
卒業後,東京で住み込みで和裁の仕事をし,
田舎に帰った22歳のとき,7歳上の父と見合いで結婚する.
姉が3人もいて甘やかされた母は,
嫁に来たとき 米を研いだこともなかった.
姑と 3人もの小姑による嫁イビリは凄まじいもので,
母には気の休まる時間などなかったのだ.

父は,母の親類に可愛がられていた.
自身の父親を早く亡くしている父も,母の兄達によく甘えた.
母の親類は酒豪ぞろいで,泊まった翌朝の食事は
「酒茶漬け」
である(うえっ).

それほど強くない父は,
昨晩飲みすぎて抜けきれないアルコールに気分のすぐれないまま
それでも笑顔を引くつかせながら,
アツアツのご飯に お燗酒をかけられたシロモノを
必死に流し込むのである.
「まいった」と言いながら,毎年父は楽しそうであった.

その年は,様子が少し違った.

母の実家へ向かう車の中で,
父は口をつぐみ,母の表情は緊張を解かない.
妙な空気を感じた私は わざとはしゃいだ声を出して
子どもっぽく振舞ったが反応がなかった.

車で40分ほどの母の実家に着くと,
私は妹をうながし,浅く雪の積もる家の庭で,
よそゆきのベルベット生地のワンピースを,
集まった親類に見えるように裾を拡げてクルクル回ったりした.
親類の歓声があがり,父は少し頬を緩めたが,
母はスタスタと玄関に入ってしまった.

夜になり,親類はほとんど帰っていった.
私と妹は五右衛門風呂に入った後,ドリフのコントを観ていた.
奥の部屋で父は,祖父と伯父(母の長兄)とずっと話し込んでいる.
祖母がしきりに弟の心配をする.
母は,前年の6月に生まれたばかりの弟を,家に置いてきていた.

翌朝起きると,父の姿がなかった.
「会社に行った」
とだけ母は言い,薪ストーブの前で横座りに煙草の煙を吐いている.

母のそんな姿を初めて見た私が目を丸くしていると,
「midori ちゃんらは,もう少し泊まっていくんだよ」
祖母がお雑煮をくれる.
煮詰めすぎて,すまし汁の葱が透きとおっている.食べたくなかった.

無言だった妹が突然くしゃみをした.
鼻を拭きに立ったのは祖母で,妹はそれを拒絶し
「おかあしゃん!」と叫んだが,
母は振り向かなかった.

その日,母は外出した.
戻ってくると,絵本と クレヨンと ぬりえを二人分抱えていた.
妹は無邪気に喜んだが,私はすぐに受け取れなかった.
こんなもの我が家では買ってもらったことなんてなかったし,
今まで三日と滞在したことがなかった この家に
これ以上いることは嫌だったからである.

しかたなく私は受け取った.
テレビ番組が正月用のものでなくなった頃,
ありあまる時間を,それに少しずつ使った.

私は妹の手前,我慢していたつもりだが,
夕闇が迫る頃,私はたまりかねたように
「おとうさんが迎えに来ないぃー」
ワッと泣き出すことがあったという.
どうにもならないので周りの大人もほうっておくのだが,
妹がテコテコやってきて そんな私の頭をなでることがあったという.

どんな話し合いがもたれたのか,
どうやら最悪の事態は回避されたようで
母と私と妹は家に帰ることになった.

しかし父は迎えに来なかった.
それまでも嫁と姑の諍いがあると,
「ここは俺と母ちゃんの家なんだから,イヤなら出て行け」
と平気で言うような男なので,
戻りたければ勝手に帰ってくればいいだろう,とのことらしい.

母の兄も車を出してくれなかったのか,
それとも母が「自分で帰る」と意地を張ったのか,
我々はバスで帰ることになった.
バスといっても,母の実家から最寄のバス停まで,4キロ近くある.
昼間とはいえ真冬の山奥の道を,若い母と幼子が二人,
荷物を抱えて ひたすら歩くのである.

妹が途中でしゃがみこんだ.
「ちゅかれた」
3歳になったばかりである.歩けなくて当然だ.
しかし母は許さない.
妹を背負うにも,5歳の私には荷物を渡せないのだ.

母は妹を なだめながら,すかしながら,
手を引いて歩かせようとする.
少し歩いては しゃがみこむ妹に私はイライラして,
「お母さん,置いていこう」
と妹の手を離す.
妹はキーッと叫び,空を仰いでワンワン泣き出し,手がつけられなくなる.
母は私を叱りつけて手を引かせる.

そんなことを繰返し繰返し,
やっとの思いでバス停に着いたのだった.

バス停の前には小さな食料品店があり,
私と妹はお菓子とジュースを買ってもらい一息ついた.
店の裏に長い石段があり,
そこを昇ると神社の境内がある.
日に4本しかないバスの時間まで
そこで親子3人,鬼ごっこや石蹴りをして遊んだ.
そんなふうに母と遊んだのは,
それが最初で最後だったと思う.

バスで町に出ると
「あの日にかえりたい」が どの店でも流れていた.
母は,この歌をどう聴いただろう.
それとも目の前の人生を歩くのに必死で,耳を傾ける余裕などなかっただろうか.
30年以上経った今でも そんなことを考えてしまう.

名曲だと思う.
愁いを帯びた歌詞も歌い方も,
そしてこの頃 公私共に幸せの絶頂を迎えたという彼女の,
天賦の才能が後に夫になる人によって凝縮されたという意味でも.

私の心を乱す歌.「あの日にかえりたい」







 
ちなみに,この曲は「家庭の秘密」というドラマの主題歌だったそうです.
へぇと思った方は ポチッと お願いします.


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コメント 6

midori

deacon_blue様 nice!ありがとうございます.

Sho様 nice!ありがとうございます.
by midori (2007-09-17 12:20) 

素人写真

音楽と結びついた想い出,誰にでもありますね。
ちなみに,YUMING BRAND の「あの日にかえりたい」と「翳りゆく部屋」の2曲,今でも好きです。
恥ずかしながら,「あの日にかえりたい」は同じ職場の人からかかってきたときの着メロです。
「あの日にかえりたい」を聞いて感動していたとき,私は大学3年生でした。
懐かしいです。
by 素人写真 (2007-09-17 20:07) 

midori

飛行機雲 様 nice!ありがとうございます.
いえいえ恥ずかしいことないですよ,名曲ですから.
曲とか匂いとか とある台詞とか,
一瞬にして過去に引き戻す力がありますよね.
by midori (2007-09-20 08:05) 

ウチータ

ひさびさ復活してくれたと思ったら、パタパタと更新してくれたmidori さんにnice! です。
確かに当時の曲は世相や自身の体験と相まって覚えていることも多く、音楽の偉大さを痛感させますね。
そうだなぁ、私だったらなんだろうと考えさせられてしまいました。
・・・すぐに出てこないところを見ると、そういうセンチな男の子ではなかったかな(笑)。
by ウチータ (2007-09-23 07:50) 

noel

確か、高1で同じ部活の3年の先輩からユーミンのアルバムを借りて聴いていました。
ユーミンの初期の歌を聴くとアルバムを貸してくれたその先輩を思い出します。今、どうしているのかな。
by noel (2007-09-24 12:36) 

midori

ウチータ様 nice!ありがとうございます.
ハハ,どもども.更新がままならなくて,すんまそん.
私は,音楽で過去に引き戻されることが多くて,
思いもかけないときに忘れかけていた曲を聴いたときは,
引き潮に体をもっていかれるようにタイムスリップしてしまい,
その意識が遠のくような感じに すごくゾクゾクします.
ヘンかしら?

noel 様 nice!ありがとうございます.
先輩に借りたレコードを聴く.あぁ,いいですね.
先輩と共通の話題で盛り上がれたことが嬉しくて,
先輩が自分に貸してくれたことが晴れがましくて,
先輩の私物だから粗相のないように緊張して取り扱う,
そんな感じでしょうか.
あの頃は,少なくともCDではなくてレコードの頃は,
音楽は「聴く」ものでした.
ターンテーブルを回し,慎重に針を落とし,音や言葉に耳を傾ける.
5曲程度で泊まってしまうので,B面に裏返して針を落とす.
何か別なことをやりながら部屋で「鳴っている」とか「聴き流す」とか
そんなぞんざいなことはできませんでした.
だからこそ昔の曲のほうが よく憶えているのかもしれません.
歌詞が自然に口をついて出てきて,「あぁあの頃・・・」と
遠い目になってしまうのかもしれません.
by midori (2007-09-25 04:43) 

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